人生最大のピンチ
2020年 04月 23日
人生最大のピンチはその時、その時で今1番のヤツが立ちはだかってくる。
年相応の戦い方でやっつけていくしかなくて、想定以上のときは半分からは
逃げるのが1番よいと思ってる(別の楽しいコトをみつけるみたいなコトで)。
中2の時の問題は、まーまー恐ろしかった。学校から帰ったらテーブルの上に
母からの置き手紙があり、達筆な文字で「お母さんは家を出ます。お兄ちゃんと
助け合って仲良く生活していくんですよ、また連絡します」みたいは感じの手紙。
慌てて、お母さんのタンスを開けたら中は空っぽ!マジか、、
その日のゴハンはたしかあったような気がするけど、1番に思ったのは明日着ていく
セーラー服は誰がアイロンかけるん?明日のお昼のお弁当は?でした。
でも、すべてが何とかなったんです。なんとかなる事の大体をこのとき学びました!
生きていくためにそこそこ料理もできるようになったし、兄妹の絆も普通より深い
かもしれないし、今ではそんな思い切ったことをやってのけた母を尊敬するくらいの
仕上がりです。
1番良かったことは柳楽優弥くんの「誰も知らない」をチクッとされるような傷みを
感じながら鑑賞できたことかな(恐怖心に臨場感があったかも!)。
中3の途中で父と仲直りして、家に戻ってきた母の態度のデカさには、普通に考えて
穏やかなキモチにはなれませんでしたが、そんなコトも時間がちゃんと解決しました。
ウチは食育がすごかったから、母の愛情は作られた身体で感じるみたいな・・・ん?
そんなこんなで14才でキッチリと鍛えてもらえたおかげでcarbonが続けてこれたのかも
しれないとさえ今は思う。
carbonを始めて6人目にピアノ教室に入会してくれた4才の男の子のママがいました。
この20年間、このママはブレることなくずっと私の理想のお母さん像そのもの。
年齢は私より一つ上、とってもサバサバしたお母さんでした。ある日、5才息子君が
年相応の戦い方でやっつけていくしかなくて、想定以上のときは半分からは
逃げるのが1番よいと思ってる(別の楽しいコトをみつけるみたいなコトで)。
中2の時の問題は、まーまー恐ろしかった。学校から帰ったらテーブルの上に
母からの置き手紙があり、達筆な文字で「お母さんは家を出ます。お兄ちゃんと
助け合って仲良く生活していくんですよ、また連絡します」みたいは感じの手紙。
慌てて、お母さんのタンスを開けたら中は空っぽ!マジか、、
その日のゴハンはたしかあったような気がするけど、1番に思ったのは明日着ていく
セーラー服は誰がアイロンかけるん?明日のお昼のお弁当は?でした。
でも、すべてが何とかなったんです。なんとかなる事の大体をこのとき学びました!
生きていくためにそこそこ料理もできるようになったし、兄妹の絆も普通より深い
かもしれないし、今ではそんな思い切ったことをやってのけた母を尊敬するくらいの
仕上がりです。
1番良かったことは柳楽優弥くんの「誰も知らない」をチクッとされるような傷みを
感じながら鑑賞できたことかな(恐怖心に臨場感があったかも!)。
中3の途中で父と仲直りして、家に戻ってきた母の態度のデカさには、普通に考えて
穏やかなキモチにはなれませんでしたが、そんなコトも時間がちゃんと解決しました。
ウチは食育がすごかったから、母の愛情は作られた身体で感じるみたいな・・・ん?
そんなこんなで14才でキッチリと鍛えてもらえたおかげでcarbonが続けてこれたのかも
しれないとさえ今は思う。
carbonを始めて6人目にピアノ教室に入会してくれた4才の男の子のママがいました。
この20年間、このママはブレることなくずっと私の理想のお母さん像そのもの。
年齢は私より一つ上、とってもサバサバしたお母さんでした。ある日、5才息子君が
レッスン中に先生に注意されてトイレに立てこもって出てこなくなった事がありました。
お母さんがお迎えに来るまでに事態を何とかしなくてはと当時20代の講師と(私も当時20代)
二人で焦っていたら、ママが現れて事情を説明すると大爆笑してトイレの前に立ち「アンタ
なにやってんの?晩御飯今日はいらんのか?」みたいなことを言ったら、泣きながらトイレ
から出てきた。
「すみません、、この子こんなとこあるけど気にせんとバンバンやってください!」笑!と
のっけからこんな感じでした。
そこから20年の間、carbonのイベント参加率88%!なんなら8HATIのイベントも
私の立てた企画で興味のあるモノは全て参加。
carbonの10周年の時は、生まれたばかりの赤ちゃん(妹)と旦那さんと3人で参加して
くれて、今年の20周年ではその妹ちゃんが久石譲の「summer」を演奏する予定でした。
確実に誰よりも20周年を楽しみにしてくれていて、もし誰も来なくてもこの人だけは
大笑いして会場にいてくれると思うとなんにも怖くない!と安心させてくれる存在でした。
お兄ちゃんは現在24歳になり就職して東京で生活しています。
20年分のエピソードはありすぎてココには書き切ることができません。
発表会の会場では毎回、生徒さん全員の演奏を聴いて「あの子は今年、めっちゃ練習したな」
とか「あの姉妹、今年からおそろいのドレスと違うねんなー」とかスゴくよく見てくれていて、
自分の子供が出ないときでも発表会を観に来て感想を言ってくれました。
毎年、全体的にどぉだったかを聞くのが楽しみだった(私の挨拶も含めて)。
いっつも、二人で話すときはずーーーーっと笑っていました(全力のバカ笑いです)。
彼女は患っていた病気と再び向き合う事になり昨年10月から会えなくなりました。
2020年4月、私は彼女と最後のお別れをするコトができませんでした。
あまりにも突然のコトでまだ全然キモチの整理ができません。
ココに書いて少し吐き出してしばらく、、ちょっとの間だけ背を向けたい。
闘病中も「20周年楽しみやー」「行けるように頑張る!」のLINEで私が頑張れた。
誰から見ても、すべての人に太陽のような人でした。
2020.4.23
お母さんがお迎えに来るまでに事態を何とかしなくてはと当時20代の講師と(私も当時20代)
二人で焦っていたら、ママが現れて事情を説明すると大爆笑してトイレの前に立ち「アンタ
なにやってんの?晩御飯今日はいらんのか?」みたいなことを言ったら、泣きながらトイレ
から出てきた。
「すみません、、この子こんなとこあるけど気にせんとバンバンやってください!」笑!と
のっけからこんな感じでした。
そこから20年の間、carbonのイベント参加率88%!なんなら8HATIのイベントも
私の立てた企画で興味のあるモノは全て参加。
carbonの10周年の時は、生まれたばかりの赤ちゃん(妹)と旦那さんと3人で参加して
くれて、今年の20周年ではその妹ちゃんが久石譲の「summer」を演奏する予定でした。
確実に誰よりも20周年を楽しみにしてくれていて、もし誰も来なくてもこの人だけは
大笑いして会場にいてくれると思うとなんにも怖くない!と安心させてくれる存在でした。
お兄ちゃんは現在24歳になり就職して東京で生活しています。
20年分のエピソードはありすぎてココには書き切ることができません。
発表会の会場では毎回、生徒さん全員の演奏を聴いて「あの子は今年、めっちゃ練習したな」
とか「あの姉妹、今年からおそろいのドレスと違うねんなー」とかスゴくよく見てくれていて、
自分の子供が出ないときでも発表会を観に来て感想を言ってくれました。
毎年、全体的にどぉだったかを聞くのが楽しみだった(私の挨拶も含めて)。
いっつも、二人で話すときはずーーーーっと笑っていました(全力のバカ笑いです)。
彼女は患っていた病気と再び向き合う事になり昨年10月から会えなくなりました。
2020年4月、私は彼女と最後のお別れをするコトができませんでした。
あまりにも突然のコトでまだ全然キモチの整理ができません。
ココに書いて少し吐き出してしばらく、、ちょっとの間だけ背を向けたい。
闘病中も「20周年楽しみやー」「行けるように頑張る!」のLINEで私が頑張れた。
誰から見ても、すべての人に太陽のような人でした。
2020.4.23
by carbon1999
| 2020-04-23 03:02